forget-me-not

12 おかえり

 ネコは飛び起きた。耳元で大きな声を出されたからだ。彼は振り向き、そこに立っていたのが誰かわかると肩をすくめた。相手もまた同じ格好をしてから彼を覗き込んだ。耳にかけていた髪が一束、細く前に落ちた。「おはよう。帰る時間だよ」「マスター」 フリ…

11 「忘れないで」

「思ったよりも早かった」。それがアスタルテが最期に思ったことだった。 彼女は薄れゆく意識の中でベッドが血に染まるのを見ながら、自らの命が尽きる前に、ネコを自らとの契約から解き放った。 ケレトはこの時間、いつものように自宅で、母のいる病室へ行…

10 ある愛のはなし

 少年の遺体は秘密裏に処理された。埋葬されたかどうかはわからない。彼には遺体を引き渡すべき縁者がいなかったし、そもそも当局はそんな連絡先など聞いてさえいなかったからだ。 それはつまり、アスタルテが彼を生かしていたとしても、彼がそのままこの建…

9 このいとしき子ら

 それから数年。クレイオが押し通した方針は、今はしっかりと光明を捉えていた。 彼が仕立ててネコに渡した試作品は、確かに当初の目的に照らせば失敗作だった。しかし、それはそれで用途があるのである。ネコ――あの、ツンと澄ましていながら実は興味を抑…

8 アスタルテ

「アスタルテ」、シリアルナンバーとして「Wi-02083-f」を割り振られたキャリアは、戦線にほど近い某国郊外の製造工場で、完成体となった直後に廃棄が決定された個体だった。 彼女の情動値は基準を上回っており、それはオーナーの操作性を悪くする…

7 クレイオ

 彼自身の話によれば、クレイオはもともとは金髪だったのだそうだ。 しかしながら今は、どれだけ待っても彼には白い髪しか伸びてこない。彼はこの国にはよくいる移民の一人で、本人曰く移住してくる前に酷い目に遭わされたことがあり、その後は色素の抜けた…

6 URP //the ultima ratio project;

 その日の会議はずいぶん長引き、クレイオはぐったりした顔で研究室に戻ってきた。 はじめネコが来たときにアスタルテしかいなかったのは、ちょうど昼時だったからだ。この部屋をあてがわれている部署には、クレイオやアスタルテを入れると両手の指でぎりぎ…

5 ケレト

 その部屋の位置なら、廊下のはるか遠くからでも簡単に分かる。声が漏れてくるからだ。 少年ネコは、この堅苦しい建物の中で異質な空気を放つその場所を好きではなかった。そこにいつもいる人間は、この建物にいる他の人間に比べてもむやみやたらと彼に興味…

4 バベル

 多様な少数民族を擁する小国が設立した研究所だ。だからそこの人間は肌の色も目の色も実に豊かだったが、その中にあっても彼は際立っていた。 光に混じれば海の碧にも空の青にも見える翡翠色の髪と金色の瞳は、そのいずれも誰とも同じではない。眼光は鋭い…

3 遠い、遠い 記憶の果てに

「ケレト」 ひとことぽつりと呟いたうーは頭を掻き、前髪を上げていた頭のゴーグルを外すとレンズを覗き込んだ。 映り込んだ空は、レンズの藍色に混ざって紫に見えた。彼はそれを首に掛け直すと石積みの上からぶらぶらと脚を投げ出した。下は海だ。 この辺…

2 広い、広い 丘の上で

「ケレト」ほかふたりは、首都郊外の小高い丘に覆いかぶさるように広がる墓地に、他の無縁者と同じように葬られることになった。 海を望むそこからは、沖合で絶え間なく上下する海底掘削のクレーンの骨組みが見える。 人々はここの墓に花を供え、故人に触れ…

1 深い、深い 海の底から

 白と黒とを基調にした揃いの服の少年が十人程度。年の頃は十四、五の者が多いが、それよりずっと幼い少年は外へ向かう彼らの流れに逆らいながら、こちらへ走ってきた。 使い込まれた花崗岩の床と白い壁に光が差し込む、広くて明るい廊下だ。重くはないが落…