1 「我々の特技は」

 ライブラリのメールアドレスには、相変わらずさまざまなところから助けを求める連絡が来ている。彼はその中身を見、必要なものには返事をし、必要ないものにも一応返事はした。
ここでいう「必要」とは、彼にとってどうかではなく、相手にとって彼が役に立つかどうか、という判断である。
 その年の冬、ペンブローク教授が亡くなった。ライブラリが大学図書館を辞めてから十年くらいになっていた。
 ライブラリは久しぶりに外に出た。喪服を着、黒い傘をさして、彼は埋葬されたばかりのペンブローク教授の墓前に、季節外れの青い朝顔を一輪、蔓をまるく束ねて備えた。

 マーカスはその間も、グレイの会社に隣接業界の小さな会社をいくつか繋げ、やがて会社組織を整備させて、持株会社「マーキュリー・アンド・パートナーズ」の筆頭株主になった。
 それ以外の株はグレイと信託でほとんどを、それから残りの少しを吸収した会社の関係者たちが持っている。セドリックはできるだけ名前を出さないでおいてもらった。「信託」は、だから、彼の隠れ蓑である。
 こうして各社の人材が、機材を——最新のものではないけれども、それぞれが使い慣れたものを——持ち寄り、規模が大きくなってきて、今グループ会社の従業員は五十人を超えた。いよいよグレイは社内のことを気にし始めた。これまでは報告を受ける立場であった自分が情報ハブになればよかったが、いい加減手に余る規模である。
 このままでは絶対に無駄なタイムロスが出てくる。「今あるもので、なんとかする」を売りにしてきた情報セキュリティ会社で、そのようなノウハウの散逸は経済的に不合理であるのはもちろん、ときとして顧客に致命的なダメージを負わせる。
 だからグレイは久しぶりに、「魔法の鍵」を頼ってみることにした。
 敢えて差出人名を「クロード・マーキュリー」に変えて送ったメールにグレイは、従業員の知見をデータベース化する構想を書いた。なんとかしてそれらを吸い上げ、整理し、分類して「使える」状態にしたいと。
 そのメールには返事はなかったが、グレイの会社の社内チャットには、翌日いつの間にか「Lukas」と名乗る新たなユーザーが追加されていた。グレイは首を傾げていた社内システム担当のオリバー・アストンに、それは外部のコンサルタントだからいろいろ相談していいよ、と言っておいた。

 二週間後、グレイはオリバーに、少し時間をとってほしいと言われ、フロアの一角に設けられたブースで面談をもった。
 オリバーは「Lukas」との相談内容をもとに作ったデータベースの構造とテスト運用の結果を説明しながら、ふんふんと聞いているグレイに、少し改まった様子で「あのですね」と言った。
「このデータベースのシステムなんですが、当社内だけで使うのはもったいないと思うんですよ。これを、インターフェイスを素人にも使いやすくして、たとえば複数の医療機関に一気に入れてもらえば、病院間の症例のリファレンスが簡単になります」
「そういうのってもうあるんじゃないですかねえ」
「ありますね、もう」
「じゃあ、やるなら差別化しないと……でも医療系って、だいたいデカい病院が大手のシステムを入れて、みたいな、大きいところがやってるイメージ。うちの規模でできるんかな」
 小首を傾げたグレイに、オリバーは「そこなんですよ」と挑戦的な顔で言った。
「我々の特技は今ある機材でなんとかすることでしょう」

 オリバーは、グレイの会社に最初に吸収された会社のベテラン従業員だ。年齢はグレイより一回り近く上。セキュリティのトラブルのたび、客先で「新しい機材を入れたらいいのはわかっているが、金がない」と愚痴られてきた。
 そういう、設備を刷新するまでの体力や気力のない顧客にアプローチできるのが当社の強みです、とオリバーは力説した。
「そこをさらに進めて、今もう使ってるシステムを変えずに、ちょっとした追加をしてくれたら他の病院と、患者のプライバシー情報を極力排除した症例だけシンプルに共有して検索できるようになる、でシンプルな分安いよってなったら、そこそこ需要はあるんじゃないかと思うんですよ」
「よその電子カルテシステムとかと提携させてもらうってこと? ライセンス料ふっかけられない?」
「そこは各病院が導入済みの電子カルテにデータを打ち込むときに、同じものかコピーを並行してこっちにも入れてもらえばいいだけにします。で、それが面倒だと思われると使ってもらえないんで、俺たちが頑張るのは主にそこです」
「ははぁん」
 グレイは顎を撫でながら、視線を上にやった。考えているときの癖だ。オリバーはたたみかけた。
「そこは顧客の既存システムを踏まえたオーダーメイド対応が必要なんでちょっと面倒ですけど、当社ならできます。そしたら残りはクラウド設定して、あとは送られてきた症例の体系化ですけど、これはなんかLukasがアテがあるって。当社のシステムと同じとこかなと思います」
「アテ」
 グレイは思わず苦笑いした。アテもなにも、ライブラリはこの会社のデータベースの構造化を自分でやっている——もちろん、秘密だけれども。軍事回線の構成を即座に解析し侵入までのマップを描く、あの能力だ。
 グレイはオリバーに目を戻して尋ねた。
「Lukasはこのアイデア、なんて?」
「いいんじゃない、と言ってました」
「あいつ大体そんな返事するよなあ」
「大体、そうですね」

 グレイは長く息を吐くと膝に両手を置き、まあやってみますか、と言いながら立ち上がると、フロアの従業員を全員、呼んだ。