21 ドアベル、カップ、預かりもの

 ミラが「童話集」と言った本(そしてそれはタイトルどおりでもある)は、アリスからはあんまり「童話」だとは思えなかった。話がなんだかとても尻切れとんぼだったり、すっきりしなかったり、納得できなかったりしたので。
 あの面白い本を書いた作者は、どんなことを考えてこれらの話を選んだんだろう。アリスは少し不思議に思ったけれど、何を面白いと思うかは人それぞれだ。それこそアリスが、ゲームにはそんなに面白みを感じられないように。
 とはいえ興味深くは読んだ。だから、決してつまらなかったわけではない。好きか、また読みたいかと言われると、どうかなって思うけど。

 アリスは読み終えた本を鞄に入れ、図書館に行こうとして、玄関を開ける前に思い立ち、スマホを開いた。ノーチラスを検索すると、お店は自分で作ったホームページを持っていなかったけど、開店時間とかの情報は載っていた。
 これから少しゆっくり歩いていけば、着くころには開店時間が間近だ。アリスは図書館に行く前にノーチラスに寄ることにした。この本の中に、ネモ店長がしてくれた話に繋がりそうな話が載っていたことを教えてあげたかったからだ。

 今日は小春日和だ。外に出たアリスは、手に持っていた手袋をそのままポケットにねじこんで階段を飛び降りた。
 いつも小さい犬を三匹散歩させているおじいさんに、いつもより少し手前ですれ違った。いつものようにあいさつをして、図書館に行く道の途中から別の道に入る。もう開いているお店も結構あるし、早くから開いてるコーヒーショップなんかはもうしっかりお客さんも入っているけど、ノーチラスは遅めなのだ。閉まる時間が遅いわけではなさそうだったから、単に、開いている時間が短い。
 ノーチラスのある通りはいつもどおり、ほかの道よりちょっと薄暗い。でも少しあったかいからか、この道もいつもよりは明るく感じた。建物と建物の隙間みたいなところから水が道路にちょろちょろと流れてきている。屋根の雪が融けたのかな、と上を見上げながら歩いていたら、アリスは危うくノーチラスの前を通り過ぎるところだった。てっきりまだ真っ暗だと思っていたのに電気がついていて、ほかのお店とあんまり変わらなかったので。

 スマホの画面で時間を確かめる。開店時間よりまだ二十分くらい早かったけど、お店を開ける準備とかもあるんだろうな、と思ってアリスは扉にはまったガラスから中を覗いた。
 カウンターをはさんで店長の前に、人が座っている。こっちに背を向けている黒い頭の人。体の線がわかりにくい、てろんとした上着を着ていた。
 アリスは、ワタライと別れたときのことを思い出し、顔を合わせるとなんか気まずいな、と思って顔をひっこめかけたけど、店長がこっちに来るのが見えて、やむなくその場で待っていた。
 店長はドアを開け、いつものドアベルの音に重ねて「おはよう」と言った。
「おはようございます。あの、まだ開店前ですよね」
 そう言いながら中を覗いたアリスを、カウンター前に座っていた人が振り返って見ていた。それはワタライではなくて、ルカだった。

 店長に招かれるまま中に入り、アリスは少し遠慮がちにカウンターの前のもうひとつの椅子に座った。
 ルカとワタライを見間違えたのは、髪の黒さとか、上着の形とかもあるけど、ルカがカウンターから結構離れて座っていたからだ。そのせいで少し入り口に近くて、大きく見えたのだけど、実際にはルカはワタライよりずっと小さい。
 店長がアリスにお茶を出すために奥に行ってしまい、アリスはなんだか居心地が悪くて、膝の上に置いた鞄の縁をなぞったりしていたけど、ルカがふいにカウンターのほうに身を乗り出して手を伸ばしたので顔を上げた。ルカはそこに置かれていたカップをソーサーごととると膝の上に置いた。少しくびれた小さなガラスのカップで、金色とかでオリエンタルな感じのきれいな模様が描かれている。アリスのためたお小遣いでも買えるかも、と思った売り物の中に同じのがあったような気がする。
 ガラスだから、中に入っているものの色が見える。アリスは、あれ、と思って聞いた。
「紅茶じゃないんですね」
「これ? これは水」
「ネモ店長はいつも紅茶入れてくれるから、ワイラーさんにもそうなのかと思った」
「僕は水以外は口にできない」
 ルカはさらりと答えてカップに口をつけ、それから膝の上のソーサーに戻すとアリスに言った。
「ここに寄ることはちゃんとご両親に?」
「いえ、でもおばあちゃんに言いました。気をつけて行ってくるんだよってちゃんと返事ももらったので大丈夫です。用事すませたら図書館に行きます」
「用事?」
「はい。ワイラーさんは今日はお休みですか?」
 アリスは、ルカが自分の用事にちょっと興味を示したのをわざと無視して質問した。でもルカはそれ以上食いつかず、「そうだよ」と返事をするとカップとソーサーをまたカウンターに戻してしまった。アリスは少しだけがっかりして、続けた。
「この間借りた本のこと、ネモ店長にも教えたいと思って、来ました」
「ちょうど良かったよね。僕もエドから預かっているものがあったから」

 店長はそう言いながら、奥からいつものカップとポット、それからミルクピッチャーを持って戻ってきて、カウンターに置くと腰掛けた。
「『お嬢ちゃんにマーマレードを渡してあげて』って言って、置いていったんだよ。でも僕も名前しか知らないから、蔵書票くんに連絡先を教えるか預かってよって言ったら」
「もしかして今日ワイラーさんがここにいるのってそのせいですか?」
「違うよ」
 ルカは、いつもの会話ペースに比べるとかなり俊敏に否定した。アリスは眉を情けなく寄せて店長を見た。店長は笑いながらカップにお茶を注ぎ、アリスに差し出しながら言った。
「蔵書票くんがここにいるのはもっと定期的な用事」
「定期的な用事」
「僕と彼の秘密。ね」

 店長はルカを見てにっこり笑ったが、ルカはほとんど表情を変えない。アリスは、その用事の内容も多分、アリスが教えてもらえるものではないんだろうな、と思いながら、店長からミルクを受け取ると、カップにたっぷり注ぎ入れた。