この街は居心地がいい。
ただそれだけが、彼女がここにとどまる理由だった。
すらりとした体躯に、きつくカールのかかった髪が肩口で切りそろえられ、
風にふわりと舞うような軽やかな印象を与えるけれども、
白に近い銀髪に不自然なほど鮮やかな赤紫の瞳はどこか人外の雰囲気を漂わせる。
彼女は産まれてこのかた、この姿を保ち続けている。
3000年前彼女がその瞳と同じ色の液体の中で生成された、その時からずっと。
高次意識体適応筐体試作品。それが彼女の名前。
創造主が便宜的に呼んだ名は、彼女を作り出すプロジェクトの名に過ぎなかった――project webbha。
けれど、この街でそんなことを知っているものはいない。
彼女と同じ時を渡って来た人間などいるはずはないのだ。
彼女がこれ程不老のままに長命を保てる、その理由は彼女の名前に表されている。
「意識体適応筐体」。非物理的な存在と共生することのできる、特殊な人種。
そもそも意識体という存在は過去、霊や神といったスピリチュアルなものとして信仰の対象とはなり得たが、
エネルギーとして認識されることはなかった。
それが、科学の天井が見えてくるに連れ、一躍脚光を浴びることになる。
次世代のエネルギーとしてメジャーな研究対象となったのだ――特に、軍事部門での利用においては。
しかし、普通の人間が武器の一つとして常に手元に意識体を連れるのには限界があった。
そこで発案された意識体憑依可能個」が、
後に宿竜種と名付けられ高額で売買されることとなった人体兵器である。
その中でも、研究が途中で中止され大量生産がされなかった一つの型式がある。
兵器として破壊力や効率を望むならそれ以上のものはあり得ない要素、時間や重力。
そうした意識体を憑依させることのできる"高次意識体適応筐体"。
その作成こそが、project webbhaの目指すものだった。
だが、自分の開発がどのような目的だったかなど関係がない。
こうして生み出されたことが、彼女の生き続ける理由。
この世界で唯一高次意識体と共生できる遺伝子。
その持ち主としてのプライドか、彼女はどの時代にあってもそれと決めた己の名を偽ることはなかった。
「神」に選ばれしものの名前――ウェバ。
「……くだらないわ」
そう呟いて、ウェバは空を見上げた。
珍しく外出した彼女の面前には、花売りの少女。
巨大軍事国家アドラの首都スペクトは黒い金属質の高層ビルが乱立し、
光のあまりあたらない地上では、濁った空気が淀んでいる。
ウェバはこの独特の雰囲気は嫌いではなかった。
彼女の生まれたガラスの筒の中の液体を思わせる重い空気。
目を細めて見下ろすウェバを、幼い少女は隠しきれぬ恐れの表情で見上げる。
それに形だけの微笑を浮かべると、ウェバは切り花の値段を聞いた。
一本、と答えようとする少女に向かって首を振ると、全部でいくらなの?と聞き直す。
それはつまり、彼女がその場の花すべてを買うという意思表示。
驚きの目で見上げる少女にこれで足りるわね、とカードを差し出すと、
少女は足元に置いていたカードリーダーにそれを通した。
見慣れぬ桁数に目を丸くする少女に、好きに使うといいわとカードを手渡すと、
勿論少女は受け取りを拒否した。花の対価としてはあまりに高額すぎる。
それにウェバはにこりと笑って、それじゃと条件を持ち出した。
「優しくないよねえ」
「そうかしら」
ウェバが共生するのは、ノヴァと名乗る高次意識体。
その能力のおかげで、彼女は時間という拘束から自由でいられる。
ウェバに恩恵を与える代わりに、ノヴァは彼女の周りで好きに動くことを許されている。
共生するからこそ得られる実体で、風と戯れるなり、人と交わるなり、無邪気に破壊するなり。
にもかかわらずノヴァは、ほぼ常時ウェバの傍に控えている。
彼女の行動にいちいちコメントしては、それに対する返事を楽しむのだ。
ノヴァにとって、ウェバ以上に面白い存在はない。
計画的かと思えば刹那的、建設的な様子を見せて破壊的。慎重であると同時に衝動的。
それはノヴァが彼女――まだ地に降りる前、ガラスの筒の中で時を待っていたウェバと契約を結び、
彼女の希望である外への脱出の機を見ているときから明らかだった。
ウェバはこの狭い彼女の世界から、外の無限の空間へ降り立つことだけを望んでいた。
その後のことなど考えていないと彼女は言った。
しかしノヴァには分かっていた、彼女が口に出さない全てが。
自分という生命を愚弄し、
兵器として利用し大量生産するつもりの愚かなものたちに、鉄槌を。
あの女を傷つけない為にただ兵器としての価値しかない自分を生み出した男に、絶望を。
そしてそうしたものどもが住まうこの世界に、復讐を。
下らぬ愛に、自分には決して注がれることのない愛に、終焉を――
人間というイキモノが時を積み重ねる中で持ち得るすべての矛盾を、
ウェバはこうして持ち合わせ、一つに構成している。
その不安定きわまりない、それでいてこれ以上確固たるものもないバランスの上で、
時に片側に寄り時に中心に戻ってウェバの指先一つにかき回される一般大衆ほど笑えるものはない。
クスクスと笑うノヴァを一瞥するとウェバは自嘲的な笑みを洩らした。
「私は悪者でいいのよ」
ウェバは花売りの少女にこんな条件を提示したのだ。
そのカードの中身はすべて渡す。ここの花の持ち主は今から自分。
花代を取っても余る分の金額は、これから言うことの手間賃。
ここにある花をすべて踏みつけて捨ててちょうだい――今すぐに、貴方がね。
ウェバが現在身を置く政治の中枢は、面白いほど腐りきっている。
頑(かたくな)に一つの方向性を維持しようとしても、時代は流れて行くもの。
どこかで妥協して道を模索しなければ、時は簡単に国を置いて行く。
それに気づかずここまできてしまったこの国は、彼女には心地が良かった。
幾多の滅びを目にして来たウェバにとって、壊れることは決してマイナスではなかった。
その後に必ず待つ再生。発展、崩壊、そしてもう一度、再生。
無限のループは、まるで母から受け継がれる遺伝子のように、螺旋を描いて堕ちていく。
いつか底が見えるかもしれないし、見えないかもしれない。
ただそれを見極めるだけの時間が、自分には用意されている。
作られた生命の特権。
すべての終焉を目にすることのできる能力。
自分だけに許された能力。
それは、天が与え賜うた宿命とも言えるのだろう。
彼女に永遠という恩寵を与えたのは、過去「神」と呼ばれた意識体なのだから。
「あのさ、ウェバは結局何がしたかった訳?」
尋ねるノヴァに、ウェバはちらりと視線を移すと目を伏せて笑った。
「泣いている子供がみたかったのよ、それだけ」
ウェバが目を伏せて思うのは、彼女の子供のこと。
その子の生まれた21年前、彼女は少しの間、夢を見ていた。
今まで会ったことのないような人間。温かなその空間の中で彼女は夢を、見ていた。
ここにいれば、救われるかもしれないと思ったことすらあった
――救われたいと考えたことなどなかったのに。
ノヴァに別れを告げ、己に本来与えられた時間だけを生きるのもいいとまで思った。
そんな、今から考えれば生温い夢を、生まれたあの子は打ち破った。
その顔その瞳、自分に生き写しで、そしてあの女に生き写し。
彼女は夢を見るのをやめ、その場所を去った。
自分を開発した《つくった》愚かな男。
下らない愛情に絆(ほだ)されて、不要な存在を残そうとした男。
卑小な自己破壊プログラムを組み込んで、私を抹消しようとした男。
彼が残そうとした存在。
己の体を形造る細胞、元素配列の基礎を提供した、出来損ないの宿竜種の女。
己の中に眠るその女の遺伝子は、あの子の誕生とともに自分から放たれた。
見守るだけで満足できない唯一のもの――そう。
それを自分の手で壊したその瞬間を想像するだけで、思わず笑みがこぼれる。
ウェバは口元に穏やかな笑みを浮かべて顔を上げた。
この前送った玩具《おもちゃ》は、あの子自身では楽しんでもらえなかったよう。 あの子はどう思ったのだろう。自分の母親が自分を壊すために作ってくれた、玩具を。
自分の部屋のある階でエレベータを降りたウェバは窓のない廊下の壁に目を移して瞬きをした。
まるでその壁の向こうにある小さな半島国家――ユーレが見えるかのように。
つまらなそうな顔で後ろに控えていたノヴァが、からかい混じりに声をかける。
「結局ウェバは壊したい訳?」
「そうよ、目障りだし――それに」
それが壊れた時の"彼"の顔が見たいし。
だからギリギリまで壊さないでいることに決めたのと呟いて、
それじゃあ、と尋ねてくるノヴァを一瞥し肩をすくめてから、
ウェバは薄暗く長い廊下を一人歩いていった。
それはまるで、真直ぐに光を目指すかのような確かな足取り。
ただその先にあるのは、光ではない。
茜に染まった、破壊と絶望と。
"彼"、自分を作った男。その精神を継承した意識体。今、自分の生み捨てた子とともにある。
可能な限りの方法で、苦しめて、消してやる。両方を。
彼女の無意識にある欲望が、ノヴァには手に取るように分かる。
簡単なことなのだ。彼女の奥底にあるのは自らに愛を注がなかった創造主への嫉妬、憎しみ。
復讐心はこだわりのないものへは生まれ得ない。
ノヴァは瞬きをして考える。
ウェバがこの世で最も見下す感情、愛情。
それが深い所で原動力になっていることを指摘したら彼女はどうなるだろうか。
矛盾に満ちた己を認識し、壊れてしまうのだろうか?
それとも、その矛盾すらいつものようにゆるく笑って己の一部としていくのだろうか。
後ろ姿を見送り遠慮のない欠伸をしてから、ノヴァは先ほど尋ねた言葉を思い出して小さく笑った。
それじゃさっきの子も――壊してみる?
| 本編情報 | |
|---|---|
| 作品名 | the dark moon falls/colours |
| 作者名 | 藤井環 |
| 掲載サイト | 雛屋 |
| 注意事項 | 年齢制限なし / 性別注意事項なし / 表現注意事項なし / 連載中 |
| 紹介 |
その身に竜を宿す”宿竜種”の主人公を中心に、
会話と情景描写を織り交ぜて淡々と綴っていきます。 1作にこだわった中でキャラや場所にバラエティを持たせる感じで進行中。 現在過去未来、都会田舎どれも混じったような世界。RPGの影響。 ライトではないです、アクが強めかもしれません。 長丁場にものんびりとおつきあいいたける方に。 |